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ホットカーラー
EH801 ¥4950
世界初発売日 昭和41(1966)年2月8日 |
●プロローグ
「昭和38年8月23日」。何年も前のこの日を何故この歳まで片時も忘れず覚ているのか我ながら不思議でならないが、この日私は入社以来はじめて上司に(故人、後の松下電工副会長)に伴われ、社長室に呼び出された。
まだバリバリの平社員である。何が何だかわからないが、社長が直々に僕に話があるとのこと。これは大事に違いない、そう期待に胸をワクワクさせながら社長室に入った。そこで私は「女性が出かける前に髪に短時間でカールがつけられるヘアセット器具を開発せよ。」という当時は全く予想もしないとんでもない社長命令を受けてしまったのである。 |
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(第1巻第1号) |
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丹羽社長と小林部長とは既に話しもまとまっていたらしく、部長は「この男が鈴木です。きっと期待に応えてやってくれると思います」と、滅多に人をほめない上司がこのときに限って盛んに僕を持ち上げる。社長もやさしくそういう商品ができたらきっと世の中の多くのご婦人に喜ばれ、会社も大いに商売繁盛間違いなしと太鼓判を押すものだから、たちまち私はその気になって、新しい未知の仕事に向かって行動を開始した |
私は断っておくが大学では工学部出身の技術者であり、当時は生産技術部に配属され、合成樹脂工場の建設計画や全社の生産設備の生産工程改善などを担当していた。女性の美容法に関する知識に関しては母親の炭火で熱して髪に熱でくせをつけるコテくらいしか見たこともなく、話しを聞けるほど親しい女友達も居なかったのでどうすれば良いか見当もつかなかった。そしておまけに当時、社内では髪乾燥用のヘアードライヤーや電気カミソリはすでに作っていたが、美容に詳しい知識を持つものは誰一人いなかった。
そこで僕はこういう場合にいつも便利重宝していた黄色い「職業電話帳(と当時は呼んでいた)」を探してきて、「美容院」のリストから「N美容室」という名前の美容室を見つけその内一番会社から交通至便な梅田新道にある店に電話で問い合わせを試みた。
曰く「社名と同じ名前だが何か特別親しい関係でもあるのか」「もしできれば斯く斯くしかじかで髪の手入れの実際の現場を見学させてほしい」と尋ねたら、うちの会社とは直接関係無いが同じ名前であり、そのよしみで見学を許してもよいとの返事を得た。そこでノートを片手に店を訪ね、たまたま居合わせたお客が洗髪、カット、パーマ、セットと美髪のフルコース客であったので、つぶさにその流れをすべて確認することができ、パーマとセットが違うことや女性が如何にサロンで美しく変身をとげるのかを目近かに見ることができた。 |

発売当時の広告(ミセス) |
今日では美容院で男性客と女性客が並んでヘアーの手入れをしていてもおかしくないが当時、男性が美容室に入ることには大変抵抗があった。とても恥ずかしかったが、夢中でノートに一部始終を記録し、帰途、美容材料問屋O商会に寄り、練習用かつらを購入し持ちかえったが、研究所の広い実験室の中で人形の首が実験机に固定された姿は多くの研究員をギョッと驚かせた。こうしてわが社の美容器具開発研究は始まったのである。
●主婦の発案
そもそも、この”お出かけ前にヘアセット”の発想はどこから生まれたのか、このいきさつにも触れておかねばならない。これは後日聞いた話なのだが、当時M電工は創業者の開発したヘアードライヤー(昭和12年)やバイブレーター(昭和11年)、それにN社長が昭和30年に生産をスタートさせた電気かみそりなどを作っていた。しかし、N社長はこれらの製品群のみでは事業の一角には育たないとの判断から更に事業の柱になる商品の新たなる開発が必要であると考え、当時営業部門の最高責任者であったK専務(故人)に何を作ったら良いか、消費者や市場のニーズを探索するよう命じた。
そこでK専務は大阪の堂島にある中央電気倶楽部に毎週1日主婦数人を集め、食事をしながら歓談し、日頃生活で困っている問題を出してもらうこととした。ある日の会合で出席者のだれかが夜寝るとき頭中に巻いておき、朝になるとそれを外して髪をセットするヘアカーラーを電気の力で何とか巻いて寝なくても良いようにできないかという問題を出した。当時の女性の髪型は欧米の流行に倣ってカ-ラーを巻き、フード式になったドライヤーに頭を入れ熱で髪にカールをつけ、ふんわりとふくらみを持つへアースタイルを作ることが多く行われていたがフード式ドライヤーは美容院にしかなく、一般家庭では女性は必ず夜寝る前に頭じゅうにアミカーラーを巻き、それをつけて寝ていたので寝苦しく、女性として夜を共にする相手に見せたくない格好だったのである。M電工随一の粋人でもあったK専務は発言を聞き、たちまちこのテーマの有望性を確信し、主婦達にその開発を約束したのであった。  |
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