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くるくるドライヤー
世界初発売 昭和49年(1974)10月 |
●<くるくる>の生まれた背景
ブラシ付きドライヤー所謂《くるくる》は今日もなお女性用美容器具コーナーの主力商品として販売されており、大抵の女性なら日々のヘアケアやヘアメイクになくてはならない器具としてご愛用頂いている。もうかれこれ誕生して28年、今なお安定した必需品であり、ひろく海外にもその市場は広まりを見せている。この商品を世界で初めて創ったのは私である。ホットカーラーもそうだが、こういう歴史的事実を明らかにすることで、日本人もエジソンのようにさまざまな人々の生活に役立つ独創的な商品を開発できるという自信を深め、不景気のせいにしないで新しい需要をくみ出す商品開発を盛んにしてもらいたいのである。この商品を世界で最初に開発したNationalは今日も世界の女性美容器具市場をリードしてい |
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(第2巻第1号) |
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●昭和49年(1974)世界初発売(その1)
●<くるくる>の生まれた背景
ブラシ付きドライヤー《くるくる》は今日もなお女性用美容器具コーナーの主力商品として販売されており、大抵の女性なら日々のヘアケアやヘアメイクになくてはならない器具としてご愛用頂いている。もうかれこれ誕生して28年、今なお安定した必需品であり、ひろく海外にもその市場は広まりを見せている。この商品を世界で初めて創ったのは私である。
家庭用電化製品といえば欧米市場で出回っている商品を国内メーカーが真似て作ったものとぐらいにしか考えない向きもあり、おそらくこの商品もそういう風に見られる商品の一つだろうと思う。しかし事実はそうではなくて、ホットカーラーと同様にこの《くるくる》も美容器具の世界のトップメーカーを目指すという信念から松下電工が世界ではじめて開発し、市場を作り上げた商品である。こういう歴史的事実を明らかにすることで、日本人もエジソンのようにさまざまな人々の生活に役立つ独創的な商品を開発できるという自信を取り戻し、景気や周りの人のせいにしないで新しい需要をくみ出す商品開発を盛んにしてもらいたいのである。
どうしてこの商品が生まれたか。当時を振り返ってみると最大の理由はそれまで女性整髪器具事業を支えて来ていたホットカーラーが流行が変化し、今後売れなくなるまたは伸びなくなるそういう時代が近づいているというメーカーとしての危機感が高まったことである。女性のファッションは常に変化するから、その変化に対応した商品づくりを心掛けなければならない。そこでわれわれは常に女性のヘアスタイルがどのように変っていくのか、街の美容院で行われている手入れ法や日本ヘアデザイン協会の関係者達とのコンタクトを常に持ち、情報の収集を怠らなかった。
その頃、日本では千里での万国博が開かれ、高度経済成長がピークに達して、女性はなだれを打ったように社会進出した。《ウーマンリブ》という言葉が生まれ、英国の痩身のモデル《ツイギー》が《ミニスカート》を日本に持ち込んだ。当然、ファッションが変るとヘアスタイルも変る。髪は短く、所謂ボブスタイルというおかっぱ頭でカーラーを巻かない《カット&ブロー》が美容院でも主流になり、このころまで美容院のシンボルであったサロン型ドライヤーを置かない店も出はじめていた。
この市場の変化にどう立ち向かうか、という壁に私達はぶつかったのだ。自らの力でその変化を克服し、事業沈滞の危機を乗り越えなければならない。その答えは新しい流れにマッチした需要の再創造しかなかった。われわれは市場の変化は新しい商品を起こすチャンスでもあると確信し、明確な意図をもって取り組んだのである
●もとは男性が使っていた。
このくるくる。現在もナショナルくるくるが市場を独占しているが、他のメーカーもこぞって類似商品を発売している。即ちこの商品、松下電工が基本特許を押えているわけではない。それは筒型の温風器に櫛をつけた整髪器具が古くから欧州で作られ、国内でも松下電工が昭和33年ごろ櫛付きドライヤーとして男性の整髪用に発売し、細々と商売を続けて来ていたのである。しかし、その頃の商品は風量熱量とも非常に弱く、温風で髪を整える機能しか持っていなかった。今日のように濡れた髪を乾かせるといった機能は持たないものだったのだ。
しかもその後、櫛のみでなくブラシも取り替え使用できるものになり、熱量もUPされていた。それが女性専用のロールブラシ・アタッチメントや《くるくる》のネーミングに衣替えしただけで従来に無かった大きな市場が突如出現したのは全く衝撃的なことであった。商品企画の難しさ、重要さ、面白さ、をこれほど如実に物語る事例はないのである。
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