 |
 |
|
|
 |
 |
(第3巻第2号) |
|
昭和年50(1975)発売(その2) |
|
●全面否定からのスタート
もみもみを開発に掛かった昭和48年当時、すでに前身となるマッサージ椅子は松下電工では既に約5年にわたり販売を続けていた。当時の商品は他社のモーター式椅子式マッサージ椅子と大きな差は無く、マイコン制御や陰電位治療穐との複合機能を持たせていたが、これらは+?的なものでしかなく、販売は市場価格との乖離から殆ど伸びず毎月数百台の生産にとどまっていた。また、目先を変えるため新製品を出す度に椅子の新規デザインを採用していたため、金型投資過剰となり、大きな赤字を続けていた。
「この商品を「男」にせよ」ーこの、時代を見ぬいたTOPの啓示に対して、われわれの出した答えはこうだった。なるほど他社では自社の数倍も売っているが、広い世の中で大半の人が満足し、納得するに足りる機能価値は認められてはおらず、価格に対しても疑問を抱かれている。だから、本当に疲労の回復や肩こり、腰痛などの治療が得られ、誰しもが効能を認める商品に機能脱皮させる必要がある。それとそれを実現したからと言って他社よりも高い価格にしたのでは商品として市場では勝てない。少なくとも同レベルの価格に抑える、そのためには椅子部分のコストを高級感を損ねずに半減させることが必要だというものであった。
もし、その2つの答えが見つかれば、われわれにはブランドの優位性、家電ルートの全国的販売網、品質サービスに関する信頼性、宣伝PR力など、マイナーなメーカーが持っていないパワーで市場の過半を押えることも夢ではない、そう信じて課題挑戦の決意を固めたのである。
われわれは商品が売れない、赤字事業である。それだけでこの事業を切り捨てることはしなかった。時代を読み、何が本当のネックなのか消費者の立場に立って明晰に分析した。それとどんな困難な課題もわれわれで解決できない問題など無いのだ、という開発力には絶対の自信があった。そしてもう一つわれわれがこの問題に対する答えを見つけることに成功した最大の理由は社内にない情報やノウハウを外から取り入れることに何の抵抗も感じなかったということだ。
●治療の本質とプロの手技に照準を合わす
椅子式マッサージ機と称している商品はたくさんあるが、一応、どの商品も家庭用治療機として薬事法に基づき政府の許可のもとに販売されている。「一応」と断ったのは、この法律自体、規定があいまいで、マッサージに近い動作をするものは大抵、届け出をするだけで販売が許可されており、本当にどのような治療効果が得られるのかは定かではない。ちなみにこの類の法律が定められているのは世界で日本だけである。(ちなみにマッサージ機の手持ち型のものに対しても日本には同法による規制があり、従って外国メーカーは煩雑な届け出を嫌って日本には進出していない。)
ともかく、要は手でたたいたり、もんだりするのを機械でやるわけで、何となく一時的に疲労感やこり、いたみが緩解すればそれで良いとされている。しかし、われわれはこれに疑問を抱いた。本当にマッサージ椅子は「治療」効果があるんだろうか。「気持ちが良い」だけではないのか。われわれの達した結論は何となく治療感が得られる、だけでなく、はっきりと治療感があり、満足度が高い、それと明確な治療理論や身体生理に基づく治療機としての機能を備えている商品への脱皮が必要だと考えた。
わかりやすく言えば評判の高い整体治療を行う指圧マッサージ師の技術を取り込もうというコンセプトへの変換である。その日から企画、設計技術者による著名指圧師、整体マッサージ師の手技研究が始まった。社内に専門家を呼んでの実技研究も始まった、と同時にこれら手技のバックボーンとなっている伝統医学を科学的に解明し有用な治療体系を構築しようと研究を重ねている筑波大学、西條一止教授(当時助教授)等の指導を仰ぎ、最も効果的な治療動作に機構を近づけるための研究開発を行った。この技術革新は同僚のY君が中心になり、治療ソフトの構築や動作機能の評価をわれわれは担当した。こうして諸専門家の代表的手技は新たに開発された指圧マッサージ・シミュレーション機構によって、だれでもいつでも極めて安価にスイッチ一つで行うことが可能になった。この技術は松下電工が開発に成功して25年以上になるが、他のメーカーにない独自技術として受け継がれ、本格的な市場拡大に深く関わる商品認識の高揚に大きな役割を果たしたのである。
  |
|
|
|
Consulting & Produce
BELL CREATIONS
since2001
Bell Creations all right reserved |
|