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経営戦略、市場戦略を構築し、運用して企業に繁栄をもたらすには、
さまざまな問題解決を図らねばなならない。
その際、重要なのは経営戦略として守らねばならない基本原則を踏まえて判断を行なうこと、
および成果を呼び込むための叡智を駆使することである。
本項に述べる過去の経験が何らかの有効なヒントを提供できれば幸いである。 |
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今日では新製品開発或いは新商品開発において、商品企画の重要性は多くの関係者の認めるところとなり、商品企画という用語はさまざまなところにおいて、ごく当然のごとく使われているが、商品企画という概念の重要性に最初に気づき、実際に新製品開発過程において、そうした用語を使ったのは我われのグループではなかったかと思われる。そこで、そのような問題に興味を持つ方々のために、当時のそれにまつわる状況を書き留めておきたいと思う。
当時、事業部では昭和41年(1966)1月〜3月にかけて、世界初発明品であった新商品「ホットカーラー」の地域限定でのテスト販売を四国で行い、空前の成功を収めていた。私は開発責任者として開発部隊のいた研究所における商品開発を完成させ、事業部に出向して、プロジェクト担当者として現地と事業部間を行ったりきたりしていた。
3月にはテスト販売を終了し、翌月からの本格生産販売の準備に入ると同時に、事業部における新商品開発活動をこれを契機に一層、定着強化するため、事業部内にて新商品開発推進体制をどのように強化するか、関係者で組織検討に入った。
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1966.3.29の私のノート |
新製品開発の手順は営業企画課の中に商品企画係を設け、新製品企画のアイデアを集めたり、開発プランを意匠デザイナーなどと作成して、「商品企画会議」に計るというものであった。
当時から事業部は滋賀県の工場(昭和38年建設)にあったが、営業企画は大阪の本社に事務所を置いていた。新製品開発は技術陣が中心となって行わなければならないのに、企画は本社で行い、書き物を一方的に技術陣に送りつけても、開発は実際には進まない。そこで、商品企画係を工場に移すと同時に、その職務を拡充して、一層のリーダーシップを発揮させる狙いで3ヶ月もしないうちに、工場にある事業部の技術部の中に新たに商品企画課を置くことになった。
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1966.6.6の推進体制検討メモ |
商品企画課の課長には前設計課課長を異動させ、設計グループの協力が得やすい体制をとっており、マーケットインのものづくりが進むように配慮している。商品企画の作業としては、新製品企画、市場調査、発売決裁に至る新製品開発管理や新商品企画会議の事務局を司っており、商品戦略、新商品開発の中心的役割を果たしていた。
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1966.5.11の商品企画会議のメモ |
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同社ではこのあと「くるくるドライヤー」「マッサージ椅子もみもみ」「家庭用電子血圧計」など、次々に美容、健康分野に世界初、国内初商品の開発育成を成功させ、ウエルネス家電市場のマーケットリーダーとして今日まで、ダントツ優位に立つ、事業展開を行っている。
その中核にはユーザーニーズを的確に読み取り、市場戦略を的確に展開する他社に無い「商品企画」の存在と充実が働いていたことは言うまでもない。
参考になれば幸甚である。
※資料中、個人名等は都合により抹消しております。 |
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