猪突猛進
人間の記憶はいつか肉体の変調とともに消え去ります。
私の生き方が良かったか悪かったかは別として、
私の生き方に興味を持たれる方のために
誰にも話す機会がなかった記憶の中にあることを書き残しておくことは
私を知らない人や後世の人へのメッセージになるでしょう。
目標は自分で作る
私は大阪府立大学の工学部に作られた工業経営学科でIE(Industrial Enroneeringの略)を学び、昭和34年(1959)4月14日に松下電工(株)に入社しました。

同期入社の学卒は約30人で、翌年の定期採用者が60人を越える人数だったことと比較しても、この年は世間も会社も景気が悪かったようで、採用人数は少なめでした。
入社式が4月1日に行われず、14日に行われたのも給料を半月分払わなくて良いようにとの判断からだったと誰かに聞きました。

入社してしばらくは新入社員教育が行われます。この間に人事部門では新入社員に一通りの社内ルールや心得を教えるとともに、個個の適性を見抜き、配属を希望している部門と調整して配属先を決めます。

私は初め、生産技術スタッフとして、本社に所属する技術部門に配属されました。
当時の松下電工は社員数も3000人余りで、当時、本社の人事課長は全社員の顔と名前を覚えているというのが逸話になるくらいの規模でした。

既に松下電工では戦前からの事業部制を敷き、製品ごとに事業部が設けられ、本社技術部は新しい技術の導入や生産技術面や品質管理などの推進を担当していました。
と言っても、新人の私はお茶汲みはしなかったと思いますが、職場に1台ある電話器の近くの席で電話を取り次いだり、課の先輩の仕事を手伝いながら人の名前や仕事のやり方を覚えるといった、比較的のんびりとした毎日を過ごしました。
 
当時、新しく採用された者は3ヶ月間は仮雇用期間として残業をさせてはならない規則があり、毎日、5時が来ると退社しなければなりません。私は社の近くに新設された寮にいたので、時間が余って仕方なく、人使いの荒いと評判の会社だから、自動車学校に通うのは今しかない、と将来のために、運転免許を取得することにし、ちゃっかりと、1ヶ月半で免許を取得しました。

やがて、先輩のテーマを手伝う形で小さな作業もこなせるようになり、議事録をまとめたり、レポートをまとめるといった仕事をさせてもらいながら、私は仕事のやりかたを覚えました。 
所謂、OJT(on the job training)ですが、一年先輩のSさん、2年先輩のKさんには大変、お世話になりました。

私が最初に所属した課は能率研究課。同じ大学の先輩である江本礼次郎氏が課長でした。
彼はきれいな字を書き、社内で文章博士の異名を持つほどの方で、私はこの人から徹底して文書作成技術を仕込まれました。
このことは後のちの私に、言葉に表現できないほど、大きな力となりました。
このことは、また別項で詳しく書き残しておきたいと思います。

 それはさておき、近頃は大学卒もめずらしくなくなり、最高学府で学問を究めた学士さん、などと大それた考えを持つ人はいないと思いますが、当時はまだ社内でも学卒者は一部分にすぎなかったため、最初から重要な課題を与えられ、成果が期待されるものと思っていたので、自分の認識と現実のギャップにとても悩みました。
 
どんなに良い発想も理解者を得なければ実現には至らない
社会は家族などとは異なり、一人一人バラバラに見えますが、大小さまざまな社会が形成され、それぞれにいろんな流儀でコミニュケーションをとりながら、物事を進めて行きます。自分が選んだ、あるいは選ばれた社会において、自分の意思をそれに反映させようとすると、先ずそれぞれの流儀に合ったやり方やコミニュケーションをとらない限り、自分を受け入れてもらえません。

そのことに気づいて以降、徐々に組織の中で立ちはだかる溝も埋まって行ったのですが、私はその壁や障害を乗り越えるには一定の努力や工夫、それに時間も必要だということを悟りました。それ以来、自分の内部でいらいらすることもなくなり、忍耐するということも少しは覚えられたと思っております。

ただ、新人の時代は、受け入れ側が仕事を覚えさせるためとして、さまざまな種類の仕事を申しつけますし、単なる工数としてのレベルでしか期待していないなどにより、個人的に何を目標にしていけば良いのか、皆目、見当がつきません。

与えられる目標だけでなく、自分の人生に対する目標を描く
そこで、私は平素のコミニュケーションから職場の期待や自分の役割を自分なりに分析して、6ヶ月(半年)を1節として自分が何を重点にスキルアップしていくか、自分で決めることにしました。 例えば、入社早々の半年は、できるだけ多くの社内人脈を作る、を目標に定め、職場の人たちは勿論、職場に出入りする人たち、上下や先輩後輩、専門などに関係なく、自分から進んで声をかけるなど、親しくなれるよう常に心がけていました。
 
これは電池式器具で言えば一種の充電期間だったわけで、良い仕事をするには、しっかり充電もしなければならない、という事だったのですが、このことに気づいて以来、仕事が終わっても、おなじ寮生や、先輩に遊びに誘われると、積極的に何でも参加しました。
OJTと言いますが、それだけでなく、自己投資として、遊びや付き合いの中で、さまざまな知識や知恵を貪欲に吸収することは、社会性を発揮できる人間形成にとっても意味おあることだと思っています。

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